第101回 C-Netひたち俳句会
9月13日句友10名と秋晴れの1日を笠間の愛宕神社、水戸偕楽園萩まつりの萩を見て来ました。朝夕は涼しくなりましたが日中はまだまだ暑い日でした。
愛宕山の山頂にある愛宕神社は、日本三大火防神社のひとつといわれており、創建が大同元年(806年)と伝えられている歴史ある神社です。愛宕山には昔、天狗たちが住んだという伝説があり、大きな天狗面が奉納されていた。愛宕山で元気の良い仙人のような方に遭遇し、思わぬガイドをいただきました。日立で俳句をやっていた大山文男さんという方でした。話をしているうちに5年位前に日立俳句連盟でお世話になった方でした。
芭蕉の句碑「夏来てもただ一つ葉の一つかな」関連の葉はウラボシ科の植物タカノハウラボシであり、この辺りにはミツデウラボシがあり似ています。これではないかと言うことでした。句材もたくさんいただきました。飯綱神社六角堂と背後に並ぶ天狗祠、愛宕山に住んでいた天狗を祀った「十三天狗のほこら」等説明いただいた。お世話になり有り難う御座居ました。来年は愛宕山スカイロッジで一泊吟行の話がでました。
9月の句会
・日時:9月18日(水)12:00~16:00
・場所:NPO法人 コミュニティNETひたち多賀事務所
小野先生の講話
今月は『俳句は何を詠むべきかについて』でした。
俳句は何を詠むべきかについて、兜太と汀子のバトルがよく引き合いにだされる。
兜太は季語に捉われない自由さを。汀子は虚子を信奉し季題を重視する。短詩文芸評論家の坂口昌弘氏は、俳句は命を反映するものと言っている。
林檎は赤、蜜柑は黄に見えるが、引力は見えない。ニュウートンは目に見えない引力を神の創造したものと言った。この引力に相当するものが、俳句では時間と場所の要素だという。人は生れて以来、環境と経験と古代からの文化伝統が人間・俳人の潜在的な意識に記憶され共通点と相違点を作り、共通は俳人の個性の数だけあり多様である。
詩歌俳句に流れているのは森羅万象に命を見る生死観であり、俳句は森羅万象の命を映し、作者の命を反映する。命の語源は祈りに対する神意の意味で、人は定型詩を通じて命や魂を詠んできた。以下に漱石以下5作品
・神の住む春山白き雲を吐く 夏目 漱石
・あらたかな神のしづまる若葉かな 正岡 子規
・その中にちいさき神や壺すみれ 高浜 虚子
・よみがえる命の祈り返り花 稲畑 汀子
・おおかみを龍神と呼ぶ山の神 金子 兜太
・天高し天命といふことばふと 大峯 あきら
これらの作品は論より証拠。俳句の四季観と定型の起源は、農耕民族として五穀穣を四季の風神に祈ることにあった。忌は句も亡き命への鎮魂の祈りであり、俳句は命の多様な祈りであると坂口は言う。 (村山 典男記)
101回C-Netひたち俳句会結果
◆小野さとし先生選◆
◎ |
孫 フランスへ バレエ 留学
秋高し希望膨らむパリへ発つ |
キミ子 |
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◎ |
竜巻を防ぐお札や祖母真顔 |
正 |
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◎ |
手花火にあとずさりして子犬かな |
光 夫 |
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○ |
原発の廃炉進まず三度の夏 |
芳 洲 |
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○ |
車椅子の人の飛び入る運動会 |
斐紗子 |
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○ |
朝顔も暖簾の一部古き路地 |
興 洋 |
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○ |
秋刀魚焼く焦げ照りといふ難しさ |
典 男 |
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○ |
きらきらと走るテープの鳥威し |
源 一 |
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